Schecter Guitar Researchの歴史

カスタムショップ期 1976年-1983年

Schecter Guitar Researchは1976年、David Schecterによりアメリカはカリフォルニア州にて、リペアショップとしてスタートします。

70年代後期には400種類以上のギターパーツを供給していましたが、ギターの完成品の供給はしていません。

78年から83年、日本のMoonとライセンス契約を結び、日本製シェクターの製造が開始されます。

その後1979年にアメリカでもエレキギターを供給開始。これらのギターはフェンダー系でアメリカの20の業者にのみ販売されていました。

大量生産期 1983年-1987年

1983年には有名ミュージシャンの使用もあり、生産の限界を超えたバックオーダーがたまっていたようです。

その年この評判を聞きつけたテキサスの投資家グループにより買収されます。この時に会社をテキサスに移し、シェクターパーツと輸入パーツを用い5年弱シェクターブランドのギターを製造していました。

そのタイミングで創設者David Schecterは解雇され、かのTom Andersonも会社の変貌に耐えられずシェクターを離れます。

ESPによる再建 1987年-現在

1987年にテキサスの投資家は渋谷 尚武(しぶや ひさたけ)氏にシェクターを売却。渋谷氏はMIとESPグループのオーナーでもあります。

そしてシェクターをカリフォルニア戻し、カスタムショップを再建、ハイエンドモデルの製造に専念します。

再び数社のみの取引となりますが、その中には渋谷氏所有のSunset Custom Guitarsも含まれます。ここでは後にシェクターの社長となるMichael Ciravoloが在籍していました。

1995年にFender スタイルの ‘S Series’ を発表。

1996年には渋谷氏がMichael Ciravolo氏を社長に就任、運営を任せます。

ここから現在のUSAシェクターの流れが始まります。

マイケル氏はフェンダーデザインが嫌いだったらしく、従来のフェンダー路線から脱却をスタート。

Avenger, Hellcat, Hollywood Classic CT, Tempestといった一部現在も続くモデルをカタログに加えます。

1996年から2000年までの少量生産による高品質なカスタムショップモデルは今なおコレクターの間では人気です。

2012年にはアメリカ工場を2013年のウィンターNAMMにてUSA Production Seriesとして発表されますが、日本国内での流通はありません。

Diamond Series (ダイアモンドシリーズ)

一方、大手ブランドに見向きもされない新世代ギタリストのために、高品質で大量生産できる工場を探し、1997年の東京楽器フェアにてアジア工場数社と出会い、

韓国の仁川(インチョン)の工場 World Musical Instrumentでの生産を決めます。

1998年のサマーNAMMにて6機種のDiamondSeries(ダイアモンドシリーズ)を発表。そこにはA-7という7弦ギター黎明期において数少なかった低価格モデルも含まれます。

2000年にはフラッグシップモデルと言える現在にも続くC-1を発表。Papa Roachのヒット曲 Last Resort のMVで使われています。

ScheterJapan Guitars

90年代渋谷氏がオーナーとなったことで、本国とは別にESP日本法人のもと日本製シェクターが復活。

初期シェクタービルダーのTom Andersonの流れを組む、ドロップトップのコンポーネント系やディンキースタイルのギターに、同じくトムアンダーソン譲りのラージポールピースピックアップを採用したモデルが中心です。

日本製の各グレードの詳細はこちらの記事をご覧ください。

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